【令和】を考える

     
新元号が【令和】がスタートしました。
約200年ぶりの生前退位です。
文化14(1817)年に仁孝天皇に譲位した光格天皇以来
202年ぶりの生前退位でした。
明治以降は制度的にも天皇の生前退位は認められなかったのです。
17年6月に特例法では
陛下が高齢となり、公務などの継続が困難になることを「深く案じておられる」と明記して
退位が陛下の個別の事情で行われることを強調しています。

日本の皇室の歴史は初代神武天皇以来の天皇が実在し
西暦1世紀ごろから始まったと考えられています。
126代という世界で他に類を見ない歴史を誇るだけに
皇位継承も時代によって変化していて
最初に譲位を行ったのは、女帝である35代皇極天皇で
大化の改新で中大兄皇子が蘇我入鹿を殺した翌日譲位を表明し
次代の孝徳天皇へ譲位しました(以後斉明天皇として再即位しています)
自らが上皇となり即位した若年の天皇を教育・管理できる
システムは、日本社会全体に定着しました。いわゆる隠居です。
(平成天皇=太上天皇=上皇はそんなことは考えていますんが・・・)
明治になり譲位という制度はなくなり
10代8人の女性天皇がいたにもかかわらず
皇位継承者を男子に限定しています。
また
天皇の即位や崩御とは無関係だった年号を一世一元と定めました。
歴史上57代もの譲位をした天皇がありながら譲位規定を作らず
天皇は在位のまま崩御することとしたのです。
それまで火葬、土葬の両方が行われてきた葬儀を土葬とし墳墓形式のものとしています。
平成天皇は火葬とできるだけ小さな墳墓を望まれ
さらに、2016年8月譲位の意向を示されました。
そこで特定法が作られたのです。
【令和】の典拠は従来の漢籍ではなく
初めての国書、それも日本最古の歌集「万葉集」からです。
「梅花の歌三十二首」の序文
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわら)ぎ」
から引用されています。
春の訪れを告げ、見事に咲き誇る梅の花のように
一人ひとりが明日への希望とともに、
それぞれの花を大きく咲かせることができる、
そうした日本でありたいとの願いを込められています。と政府は説明していて決定し
「明日への希望と共に、日本人1人ひとりが大きな花を咲かせる」
という願いを込めて【令和】という文字が選ばれました。
【令和】の時代に憲法改正も大事ですが
皇室のあり方の見直しも必要と考えさせられる・・・2日間です。