「変化」の時代。

     
サロンでもお話させて頂いたのですが「築地本願寺」は
コロナ禍で「高齢者」「帰省」が出来ないので「オンライン化」を推進しています。
お坊さんはリアルでなきゃいけない?
「変化に惑わされず、1つのことに専念して継続することが大事だ」
「同じことを続けていてはいけない」
いずれも正解です。
「植物」は動くことができません。
そこがどんな場所であろうと
種が落ちるとそこに生えて、そこで一生を終えるより他に選択肢はありません。
「変えられないものは受け入れる」これが「雑草の生き方」です。
変えられないものとは「環境」です。
しかし
「変えられるものは変える」変えられるものとは「自身」です。
植物は自分自身を変化させます。
生物の変化できる能力を「可塑性(かそせい)」といいます。
動くことのできない植物は、動物に比べて可塑性が大きいのです。
例えば体のサイズを考えてみても
人間の大人であれば、大きい人と小さい人とで倍も身長が違うということはありません。
しかし、植物では
同じ種類であっても、倍くらい高さが違うということは当たり前です。
植物の中でも「雑草は可塑性が大きい」とされ
変化できる力が大きいとされています。
環境によって自分自身を変化させていく「表現的可塑性」と
次の世代に自分と違うタイプを残す「遺伝的多様性」とがあります。
大きさも自由自在、伸び方も自由自在。
臨機応変に環境に対応して、変化するのが「雑草」です。
雑草は
図鑑に記載されたとおりに生えていないこともあり
花期は春と書いてあるのに、秋に咲いていることもあります。
草丈は30センチくらいと書いてあるのに
人間の背丈ほど大きくなっていることもあるし
立ち上がることなく地面を這はっていることもあります。
「雑草は踏まれても踏まれても立ち上がる」
のイメージがありますが
「臨機応変に環境に対応して可塑性が大きい」のが雑草のすごさで
環境に合わせて花を咲かせて種子を残すが「雑草魂」だと思います。
やみくもな根性論よりも、雑草の戦略は合理的です。
コロナ禍の時代、変化の時代にこそ本当の【雑草魂】が大事だと思います。