歴史文化を読み解く
- 2024.04.05
- ブログ
松山市北条は河野氏(こうの)発祥の地。
そんな松山市に歴史・文化があることは知りませんでした。
そのコトに対する熱いお話を聞きました。
善応寺は1335年(建武2年)
孝霊天皇から51代目にあたる伊予の豪族、河野通盛が本拠を道後湯築城に移すに際し、
自分が住んでいた居館周辺を京都の東福寺に模して創建。
約70平方メートルの寺域には7棟の伽藍、13棟の塔頭があったとされ
天正13(1585)年、豊臣秀吉の四国征伐によって壊滅。
興味深い歴史です。地元住みながら知らなかった歴史。
知らない歴史文化を磨くコトで地域を見直すことができます。
なんと「風早(かぜはや)DMOを設立しよう」とのお話まで・・・。何故「風早?」
伊予国の中部(松山市北条)で力を持っていた風早氏が6世紀ごろ北上し、
安芸国辺り一帯の島々(瀬戸内海)や陸地にも勢力を広げた。
その一族がこの地に住み着いたのでこの地を「風早」と称するようになったそうで
河野氏一族の前のお話・・・・・歴史は深く読み解くと面白いものです。